ZEN-NOH Recruiting

JA全農プロジェクトレポート

CROSS TALK

SPECIAL CONTENTS 事務系職員座談会

山田 悠人 写真

山田 悠人

YUTO YAMADA

2015年入会
国際食料情報学部卒

新潟県本部
園芸部
花き・直販課

入会後に配属された生活部ガス・自動車課では、LPガス業務やJAでんき業務にあたるべく数々の資格を取得。業務に必要な知識と技術を身につけ、それを自信に変え、さまざまな取り組みを企画、実行。LPガス業務では、取引先と連携してLPガス安全化システム(24時間監視システム)の組合員家庭への導入を県内各JAに提案し、県域における同システムの普及率において全国トップクラスの実績を上げる。2021年、現部署に異動。花きチーフとして、自身を含む計3人のチームを指揮。JA担当者、花き市場担当者との日々の情報交換、信頼関係の構築を通じて、出荷計画、実績管理、それを踏まえた見通し作成など、県内花きの販売戦略を立案。現部署2年目には新潟担当として、直販サイト「JAタウン」の運営も兼務。

橋詰 雄太 写真

橋詰 雄太

YUTA HASHIZUME

2014年入会
経済学部卒

広島県本部
改革推進部
JA営農支援課

入会とともに生活・住環境部生活課に配属され、2021年までの8年間、広島県産品ギフト企画、通販サイト「JAくらしの宅配便」導入推進、直販サイト「JAタウン」運営(広島担当)などを担う。2020年にオープンした「みのりカフェfukuyama」の立ち上げにおいては、職員が駐在しない店舗運営を実現すべく、オープン前後の数か月は自らが店長業務を実行することで、店舗運営の体制を整備、構築。そして2022年、本所経営企画部JA支援課(広島駐在)に配属。広島県内のJAに対し、営農経済事業の収支改善に向けた提案活動を展開し、2023年より現部署。県本部内各部署に業務課題をヒアリングし、依頼部署やサポート企業と協議しながら、業務の最適化に向けたアプリ開発などを進めている。

幅広い業務に携わり、全国と地域の活性に取り組む-未知の分野を乗り越えて生まれる成長と学び-
熊坂 理沙 写真

熊坂 理沙

RISA KUMASAKA

2013年入会
経済学部卒

耕種資材部
園芸資材課

入会後、生産資材部(現・耕種資材部)資材原料課に配属され、園芸資材原料輸入や農業用鋼管購買などを担う。2015年、北陸・東海・近畿営農資材事業所資材課に配属され、近畿4府県の資材を担当。2年後の2017年、経営企画部事業開発課に異動し、新規事業開発制度運営、子会社運営補助を担う一方、ナショナルブランドを展開する食品メーカー、飲料メーカーとの数々の販売連携に携わり、各JAが取り扱う農産物の販売量増加、認知度向上に寄与した。2019年、耕種資材部総合課に配属となり広報、経営管理などを担い、2023年より現部署。営農に必要な園芸・水稲資材の調達・販売のほか、水稲育苗ハウスを活用した営農施策「うぃずOne」の展開や、JA向け講習会・研究会の開催なども担う。

TALK 01

たとえ農業に携わった経験がなくても、
JA全農には各人が活躍できる分野がある

山田

私は学生時代を東京で過ごしましたが、就職については地元・新潟に戻り、新潟の食を全国へと発信できるような仕事がしたいと考え、JA全農に入会しました。橋詰さんも、私と同じ県域コースでの入会ですか?

橋詰

そうです。私はいわゆる転勤族の家庭に育ちまして、子どもの頃は何度も転校を経験しました。その後も父は単身赴任を繰り返し、私も進学で家を離れたりしていましたので、なかなか家族全員がそろって生活をすることがなかったんですね。自分が将来家庭を持ったときには、家族と過ごす時間を大切にしたいと思いまして、一番長く過ごした広島で働き続けることができることを条件に就職先を探していました。

熊坂

おふたりは、すぐにJA全農にたどり着けましたか?
JAを身近に感じてきた人でないと、JA全農の存在や、その役割についてはわかりづらい気もして。私は生家が農家でしたので、JAグループは身近な存在でしたけど。

山田

私の場合、地元においてJAグループが地域の生活に浸透していましたので、わりとすぐにJA全農にたどり着くことができましたね。そして、JA全農でなら自分のやりたい仕事ができるだろうと思い、早くから第一志望として考えるようになりました。

座談会写真1
座談会写真2

橋詰

私は経済学部だったこともあり、「社会貢献がしたい」「人の役に立ちたい」という思いはあっても、目が向くのはもっぱら県内にある金融機関ばかりでした。ただ、就職活動を進めるなかで友人からJA全農の存在を聞き、その経営理念を知るにいたって、それまで漠然としていた貢献先が「生産者」「消費者」と、具体的にイメージできるようになった。しかもJA全農は事業が多岐にわたっているからこそ、それまで農業に携わることのなかった自分でも活躍できる分野があるのではないかと思ったんです。この点、熊坂さんは実家が農家なら、JAグループについては詳しく理解を……。

熊坂

いえいえ。単位農協やJA全中との違いなどを明確に理解したのは、むしろJA全農に採用されてからです(笑)。とはいえ、これからも父母が、そして多くの生産者が、笑って生活してほしいと心の底から思ったこと、それを国内外に影響力を持ちながらサポートできるのはJA全農であると考えたことが、全国コースで入会した理由でした。

山田

立派な志望動機であり、考えだと思います。

熊坂

じつは、そうでもないんです。というのも、子どものときは父母の仕事を恥ずかしいと思っていましたから。農業体験の授業などがあると、いつも私の実家に生徒が集まり、父が先生役をしていました。「友だちのお父さんはスーツを着てカッコよく働いているのに、どうしてうちのお父さんはいつも作業着姿で土まみれなんだ」と。けれども大学に進学し、都市部で独り暮らしをするようになると、田んぼで泥遊びをしたり、果樹園を走り回り木から実を採って食べたりしていた幼少期の思い出が、宝物のように思えるようになって。そして父母の働く姿を恥ずかしいと思った自分自身のことを、とても恥ずかしいと思うようになったんです。この体験が、社会人としての私の原点となっています。

TALK 02

一つひとつの経験の積み重ねが
後年における
企画の源泉となり、
成果へとつながっていく

橋詰

私の入会後の最初の業務は県産農産物を使用したギフト企画でした。「楽しそうだし、生産者と消費者に喜んでもらえそうだ」と思ったのですが、実際はJAさんやメーカーさんと折衝しなければならない。そのためには商品特性を理解し、相場観を養い、互いに利益を上げる内容に仕立てなければならない。これだけでも大仕事でしたが、商品化後のPR活動では自分のミスから「冷蔵」と「冷凍」の文字を取り違えて印刷物を刷り直すはめになったりと、当時は仕事を楽しむ余裕などまったくありませんでした(笑)。

山田

業務に慣れるまでは面食らうことばかりですよね。私のいる新潟は日本有数の米どころですので、最初の配属については米穀部門を第一希望としていました。ところが、実際に配属されたのはガス・自動車課! 「え、何をするところ?」という私の戸惑いなどどこ吹く風で、当時の上司からは「液化石油ガス整備士の資格試験に申し込んでおいたから、平塚の研修所で講習を受けてきてね〜」のひと言(笑)。以後、第二種販売主任者、丙種化学(液化石油ガス)責任者、第二種電気工事士と、私が技術系の資格取得に励むことになるとは予想もしませんでした。

熊坂

おふたりと比べれば、私は穏当な滑り出しでしたが、それでも2年目に試練を迎えました。当時、資材原料課でパイプハウスを担当していたのですが、北関東一帯が大雪による雪害に見舞われ、育苗するためのパイプハウスが軒並み雪の重みで崩壊してしまいました。そこで急ぎ復旧するために、各JAから私のところに注文が殺到したのですが、一度に大量の資材が必要となったことから、メーカーさんも対応しきれない。施工業者さんも、折からの建設需要の増大で人手が足りない。というわけで、私は各方面との調整に忙殺され、いま振り返ってもどう切り抜けたのか定かでない(笑)。先輩方に助けてもらってやっとというくらい、もう無我夢中でした。

座談会写真3
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山田

そう、はじめはまさに無我夢中。けれども、そうした経験の一つひとつが後年になって生きてくる。私も必死になって資格取得に励んだから、専門的な知識や技術が身につき、それが自らの業務範囲を広げ、さまざまな企画を生み出す源泉となっていった。その過程では失敗もたくさんしましたけど、それが逆に自信をつけるきっかけにもなった。だから当時、たとえば県内の家庭向けLPガス安全化システムの普及率向上に貢献したりと、徐々に成果を上げられるようになったのも、経験の積み重ねが実現させたのだと思っています。

熊坂

そうかもしれませんね。私も先ほどの試練が自信につながったし、忙しいときほど優先順位をつけてひとつずつ片付けていく姿勢が身につきました。ですからその後、経営企画部に異動し、大手の食品メーカーさんや飲料メーカーさんとコラボ企画などを実施したときも、47都道府県ごとに農産物を調達したり、JAさんやメーカーさんとたくさんの調整をしたりと、業務量が多くても対処できたし楽しく仕事ができました。ただ、いまにして思うのは、既存の新規事業提案制度を見直し再構築した際に感じた、先輩が上司に企画を提案するときの進め方であったり、関係者と折衝する際の上司の交渉術や根回しの仕方であったりを、もっと必死に食らいついて学べばよかったと。

橋詰

わかります。けれども、そうした後悔なり失敗があるから成長は続くし、仕事ももっと面白くなっていく。私が当時、上司からよく言われたのは、「ミスはしても仕方ないが、そのミスを隠すな」ということでした。ミスは早くに共有できればチームワークでリカバリーできるし、そもそも仕事はひとりでするものではないという教えでしたが、上司の口癖が私のチャレンジ精神を育んでくれました。だから入会7年目に、県本部では誰も経験したことのない飲食店舗(みのりカフェfukuyama)立ち上げにも率先して取り組むことができた。とくにオープン前後の3か月間は現地に部屋を借り、スタッフ教育などの運営業務に全力を傾けました。それだけにオープン初日にお客様を迎えたときの感動と、スタッフたちがいきいきと働く姿を目にしたときの喜びは、いまも色褪せることはありませんし、この経験で誰より成長させてもらったのは、ほかならぬ自分だったと感謝しています。

TALK 03

生産者や消費者に対してのみならず、
地域社会にもより良い影響を
与えていけるように

熊坂

私は現在、縁あって再びパイプハウスを扱っているのですが、昨年来、力を入れているのが地域に根付いたパイプハウスメーカーさんとの災害時協定の締結です。各地域のパイプハウスメーカーさんたちとJA全農がタッグを組むことで、自然災害時において、被災していない県域から人手や資材調達・施工を融通し合うネットワークを構築しようと取り組んでいます。先ほどお話しした入会2年目での雪害対応経験も大きく関係しているのですが、私はこうした取り組みを実行してこそのJA全農であり、私たちの存在意義だと考えています。

山田

同感です。地域の課題を解決するために本所・県本部を問わず私たちに求められているのは、地域と地域をつなぐ発想であり、日本全域、ときには世界をも視界にとらえた広い視野をもつことだと思っています。私はいま、花き部門に在籍し、県内産の花きの販売を担っていますが、県内はもとより、県外の市場担当者との情報交換に力を入れています。需要と供給をマッチさせるべく、広い地域で商売を実現したほうが長期安定的なビジネスとなるし、県内産の花きの存在を広く世間に知ってもらえると信じるからです。チューリップといえば富山が有名ですが、新潟はチューリップ切花の出荷量で全国第一位で、品種の数も約280品種にのぼります。こうした事実を知ってもらうだけでも消費者の興味を喚起し、消費増大につながりますので、今は県内外のイベント出展などPR活動を積極的に行っています。

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橋詰

まさにおふたりが実践しているように、私たちの仕事というのは、担当業務においてつねに問題意識をもち、その問題を解決するための策を考え、協力者を募りながら実行に移すこと。現在、私はクラウドシステムなどを活用した県本部・JA業務の最適化を進めていますが、じつはこれも自ら県本部内に提案して承認された取り組みです。農業というのはデスクワークではありませんので、結果としてJAグループのDX化が遅れてしまうのも致し方ない側面はあります。とはいえ、産業界全体がDX化に傾注するなかで、農業だけが例外でいいわけがありません。ここでしっかりキャッチアップしておかなければ、農業の成長産業化など成し得ないという私なりの危機感からの企画、提案でした。

山田

ここまでの話からも、3人は転職さながらの異動を経験していますよね。それでもなお、目の前の仕事に精力的に取り組めるのは、JA全農におけるジョブローテーションが自分の担当業務を相対化し、それまでの業務で培った多様な知見なり経験なりを、現場に持ち込むことを可能にするからではないか。結果として、そこで思ったこと、感じたことは自分ならではのものであり、そこから生まれる企画や取り組みは、自分にしかできない仕事になっていくからではないか。これはJA全農という組織でキャリアを重ねることの最大のやりがい、面白さだと、私はそんなふうに考えています。

橋詰

異動が当人に与えるインパクトたるや相当なものがありますけどね(笑)。だからこそ新しい発見があるし、付加価値を生み出す余地が生まれ、やる気が湧いてくる。

熊坂

加えて言えば、JA全農では地域の美味しい青果物を食べられる機会にも恵まれている!(笑) それになにより日本全国に仲間ができるだけでなく、異動を重ねるほどにそのネットワークが拡大・強化されて、大きな企画も絵空事ではなくなってくる。だから私、これからのキャリアにおいては部門横断の取り組みをさらに加速させていきたいし、それを追求していきたい。私たちの仕事って、生産者や消費者だけでなく、地域にも好影響を与えられるはずなんです。たとえ自然災害に見舞われても、地域の農業が立ち上がることで、それが復興の力となっていくことを私たちは過去の災害から学んでいます。

橋詰

この国は南北に細長く地域色に富んでいるがゆえに、地域に根ざすJA、その集合体であるJAグループは、どうしても縦割りな組織になりがち。けれども横の連携を強化できれば、地域社会、ひいては日本社会に対してもっと貢献ができる。農業の成長産業化とは、地方創生、地域活性化と同義であり、地域の関係人口を増やしてこの国の活力を生み出すことである。私はそう信じて、DX化の実現を通じて生まれた余剰のパワーを県域における新しいチャレンジに振り向けられるよう、現業務に励んでいきたいです。

山田

個人では成し遂げられないことを、同じ目的をもった仲間たちと力を合わせて実現しようというのが協同組合の真髄。これからも大きな志を胸に、私たちも自分たちにできる最大、多様なチャレンジをしていきたいし、そうしたチャレンジに共感してくれる後輩たちと新しい取り組みや事業を切り拓いていきたい。そうすることでJA全農の認知度と、JAグループとして提供できる付加価値を、もっと高めていきたいですよね。

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※使用画像については、みのりみのるプロジェクト「AGRIFUTURE」より一部転載しています。